☆保存版☆
・海の記憶写真美術館 
事のはじまりは、ふと聞いた一言だった。 「幕張や千葉の海苔問屋には信州の人が多いんですよ… 

以下が今までの記録です。是非ごらんください。

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第1回「鈴木仁太郎が撮り続けた海」

第1回は、地元幕張のアマチュアカメラマン鈴木仁太郎氏[大正2年(1913)〜平成13年(2001)]
の写真を展示...

「千葉の海のオマージュ」

登戸で生まれ、現在は市川市在住のTさんの同人誌に掲載された文章です。

第2回「昭和25年夏、家族で遊んだ稲毛の海」

今回ご紹介するのは、稲毛3丁目にお住まいの方からご提供いただいた…

第3回「検見川の海は、僕らの遊び場だった」

海の記憶写真館3回目は、検見川海岸です。検見川海岸は花見川の河口、 近くの海で唯一の漁港でした。今回貴重な写真を提供していただいたのは、現在も検見川にお住まいのIさん・・・

第4回「海苔の海は、今ディズニーランド」

今回は、市川市で理髪店を営む方から
ご提供いただいた、昔の浦安の写真です。

第5回「プロのレンズが捉えた登戸・出洲海岸」

海の記憶写真館5回目は、出洲海岸です。出洲海岸は現在の千葉港(ちばみなと)あたりで、最も早く埋め立てが…

第6回「G.ビゴーが描いた明治の稲毛海岸」

海の記憶写真館6回目は、写真館ならぬ美術館。皆さんは、明治時代に来日したジョルジュ・フェルナン・ビゴー(1860〜1927)というフランス人画家・・・

第7回「今年も動き出した!! 海の記憶プロジェクト」

新年早々の1月7日、「海の記憶プロジェクト」の推進者であり、この「海の記憶写真館」の館長であるカメラマンの早坂卓氏が千葉テレビの・・・

第8回「写真家/早坂 卓 堂本知事と会う」

2003/5/3から3日間、幕張プリンスホテルにて海の記憶の写真展示を行いました…

 

 

<序文>

事のはじまりは、ふと聞いた一言だった。
「千葉の海苔問屋には信州の人が多いんですよ。」

かつての海岸線に日頃よりこだわりを持っている私は、すぐに一つの情景が浮かんだ。
雪深い信州の山里、薄暗い土蔵に誇りまみれで残る古いアルバム。
遠浅の海の写真が場違いのように一枚ある。
今はビル群となったかつての海岸を背景にアサリでいっぱいの袋を掲げて見せる少年の笑顔。

そして発見した喜びに涙する私。
こんな夢を実現させるためにこのプロジェクトを始めたといってもいいだろう。


 ↑ 毎日新聞にて紹介されました。

※記事内容が見たい方は
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話は広がり、栃木、茨城あたりから団体旅行でよく来ていたから、歴史の長い学校、写真館などにもあるかもしれないという。

また、総武線や京成線沿線東京の下町に住む家族が、日帰りの手軽なレジャーとして海水浴や潮干狩りに来たことも想定できる。
無論、地元にもまだまだ未発見の写真があるだろう。

幕張にこだわらず、稲毛、検見川はもちろん谷津、船橋あたりまで範囲をひろげ地域別、時系列に収集し、海の記憶として後世に残る写真記録にしたいと考えております。
活動への参加、情報の提供などにご協力をよろしくお願いする次第です。



NHKFMにて放送された
私たちの「海の記憶プロジェクト」
の番組を聞くことが出来ます。


お預かりした写真は、趣意同意いただいた上で、
幕張エリアウェブマガジン「幕の内」の中の「海の記憶写真館」にて随時展示させていただきたいと存じます。この点もご理解いただけましたら幸いです。

平成14年4月吉日

海の記憶プロジェクト実行委員会 代表  早坂 卓
幕張エリアウェブマガジン「幕の内」代表 村井亮介